垣田裕介の研究室

抜粋ノート――研究への姿勢

「自由とはいつでも、他人と考えを異にする自由である」 (ローザ・ルクセンブルク)

◇更新:20141211

■ 抜粋ノート141211
  出典:マララ・ユスフザイ「マララさん平和賞受賞演説(要旨)」『朝日新聞』2014年12月11日朝刊。
  • 「いわゆる大人の世界の人たちは理解しているのかもしれませんが、私たち子どもにはわかりません。どうして『強い』といわれる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの? なぜ銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの? 戦車を造るのはとても簡単で、学校を建てるのがとても難しいのはなぜ?」
■ 抜粋ノート141211
  出典:天野浩「あきらめない心が拓いたノーベル賞への道」『朝日新聞』2014年12月11日朝刊。初出は『朝日中高生新聞』2014年10月19日。
  • 「私は中学生のころ、ほとんど勉強していなくて、できなかった」。「高校では、先生に数学の楽しさを教えてもらいました」。 「勉強をすればおもしろいとはわかってきましたが、なぜ勉強するのか、ということは明確ではありませんでした。 大学生になってから、勉強は人の役に立つためにするものという意識が芽生えてきたんです」。
■ 抜粋ノート141211
  出典:小島慶子「『勉強しないとああなるわよ』は最低だ」『日本経済新聞』ウェブ版、2014年12月1日。
  • 「あなたの子どもに必要なのは、親の投資で得た学歴ブランドで勝ち組電車に乗って逃げ切ることではなく、自分が恵まれた環境で身につけた力を生かして、自分とは異なる背景を持つ人たちと協力して社会を営む知恵である」。
■ 抜粋ノート090402
  出典:「益川先生 ノーベル賞を語る−学生対話集会」2008年10月8日(You Tube)。
  • [0:39:38]「小林君と仕事しているときでも、組合の理学部の書記長をやっていました」。
  • 「そういう社会的な関心事に対する努力と、それから研究のことと、それが同時にできないようなもんでは、そんなもん一端の研究者だといえない、と」。[0:40:09]
■ 抜粋ノート090212
  出典:氏原正治郎(1966)『日本労働問題研究』東京大学出版会。
  • 「所詮、私は、労働運動にとっては、傍観者であり、調査屋であったのかもしれない。 時に、調査屋であることに、ひどい嫌悪の気持をもち、劣等感をもたないでもなかった。 とくに、暮夜独りめざめて、何人の人がこの報告を読み、理解してくれるであろうか、 想いここに至ると、いいしれぬ孤独感におそわれるのであった。 時に、実践家や教育家を夢みないでもなく、また、理論や思想を論ずる誘惑にかられないわけでもなかった。 だが、調査屋は、身辺多事であって、こう考えることも一片の夢想にひとしかった。 だが、私は、こうして日本の労働者を書きつづけてきたことを、今日、悔いてはいない。 これほどにも労働者を書きつづけたものは、それほどにもいないと、ひそかに自負するところがあるからである」(476頁)。
■ 抜粋ノート090115
  出典:湯浅誠・堤未果(対談)「日本の貧困を考える――『反貧困』と『ルポ 貧困大国アメリカ』をめぐって」『週刊読書人』2008年6月13日。
  • (1面)
     この前、「朝まで生テレビ」に出られたんですよね。
    湯浅 正直なところ、ひどい内容だった。途中の1時間半ぐらいは、話をする気力も失せるぐらいでした。 経営サイドで出ている人、自民党の議員、司会者も含めて、基本的に貧困問題に関心がない。 結局、繰り返して言うことは、経済が成長すればなんとか解決できると言うわけです。
     まだ、そんなことを言っている人がいるんですか。
    湯浅 それも、本気で言ってるんです。いい加減、あきれ果てました。 あの戦略については、もう賞味期限切れで、これ以上ごまかせないと、自民党の人や経営サイドも考えている。 それを踏まえて、どんなことを言ってくるのか。そこが私の関心だった。その考えは甘過ぎました。 経済の成長によって貧困問題は解決するという考えはまったく揺らいでいない。
  • (2面)
    湯浅 〔略〕でも今回、自民党の代議士や経営者たちと話して思ったのは、私が思っているよりもずっと、 彼らの考え方は揺らいでいないということです。その壁の高さを感じました。〔略〕 だからこそ、もっと市民レベルで、味方を増やしていかなければいけないなと思いました。 そうした結果として、政治家たちが、貧困問題について、自分は大事なことだと思っていないけれど、 さすがにそのことについて触れないと、選挙には落ちてしまうのではないかと、危機感を持たせるようにしていく。 結局、直接対話で考えを変えてもらうなんていうのは無理ですね。
     〔略〕私も、湯浅さんと同じ意見で、わからない人を説得している時間はないから、 ピンとくる人をできるだけ集めて、動いた方が早いと思っています。 すべての人を説得しようとしても無理ですよ。 正論で相手を追い詰めることばかり考えていては、敵ができるだけだし、 そういう対立のエネルギーは持ちあわせていない。
■ 抜粋ノート081229
  出典:小山進次郎(2004)『改訂増補 生活保護法の解釈と運用』復刻版、全国社会福祉協議会。
  • 「何等かの意味において社会的規準から背離している者を指導して自立できるようにさせることこそ 社会事業の目的とし任務とする所であつて、これを始めから制度の取扱対象の外に置くことは、 無差別平等の原則からみても最も好ましくない」(106頁)。
■ 抜粋ノート081227
  出典:森岡正博「勉強の基礎は学校で全員に」『朝日新聞』2008年12月19日夕刊。
  • 「算数、国語、理科、社会を、どうして小学校のときに勉強するのでしょうか。 それは、その学習の先に、もっと魅力的な世界が開けてくるからです。 つまり、そこで学んだ知識をもとにして、自分でいろんな本を読んで、自分の頭で 『人間とは何か』をじっくり考え、『社会の仕組み』をとことん深く知っていくことができるからです」。
■ 抜粋ノート081218
  出典:湯浅誠(2005)『あなたにもできる! 本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』同文舘出版。終章「付き添う人たちへ――後ろに立つこと」(198-211頁)。
  • 「では、あなたに何ができるのか?」、「最初にお勧めしたいのは、本人と話してみることだ」(200頁)。「本人が『今、何を』望んでいるのかを知らなければ話にならない」(201頁)。「本人の頭を飛び越さないこと。本人を置き去りにして前に進まないこと。本人の後ろに立つこと。これが、あらゆる場面での原則とならなければならない」(202頁)。
■ 抜粋ノート081030
  出典:外山滋比古(1986)『思考の整理学』筑摩書房(ちくま文庫)。
  • 「何かを思いついたら、その場で、すぐ書き留めておく。そのときさほどではないと思われることでも、あとあと、どんなにすばらしくなるか知れない。書いておかなかったばかりにせっかくの妙案が永久に闇に葬られてしまうということになっては残念である。そして、考えは机に向っているときに現われるとはきまっていない」(98頁)。
■ 抜粋ノート080828
  出典:青木秀男(1996)「都市下層と生活史法」谷冨夫編『ライフ・ヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社。125-148頁。
  • 「一人ひとりを丹念に追い、関係を丹念につくり、語りを丹念に聞く。 調査を目的に寄せ場に闖入した者に可能な態度は、これしかない。 調査は、調査される者の生の重さに耐えうる方法に拠らなければならない」(133頁)。
■ 抜粋ノート080827
  出典:渡辺拓也(2008)「フィールドと日常の間――長居公園テント村行政代執行の記録の作成を通して」 日本寄せ場学会『寄せ場』No.21、れんが書房新社。35-53頁。
  • 「研究者の役割は、ただ実態を描いてみせることで終わるものではない」。 「現場の出来事について多くのデータを集め、詳細な分析を行い、社会的なメカニズムを解明することが 研究者の役割なのではないだろうか。 だからこそ、自分自身を研究者と自覚する者は、日常のリアリティに敏感でなければならないし、 そのリアリティに根ざした研究を積み上げていかなければならない」(49頁)。
■ 抜粋ノート080728
  出典:齋藤 孝(2008)『フロイトで自己管理』角川書店(角川oneテーマ21)。
  • 「『命を取られるわけじゃなし』というような考え方をすると、気持ちは楽になる」(146頁)。
■ 抜粋ノート080724
  出典:岩崎美紀子(2008)『「知」の方法論――論文トレーニング』岩波書店。
  • 「『べき』という表現を論文で使えないのは、この表現は、決めつけや規範的色彩を帯びているからである。 なぜ『べき』なのかを説明することが重要なのであり、一方的主張でなく、議論が求められているのである」(155頁)。
■ 抜粋ノート080711
  出典:中島義道(2007)『「人間嫌い」のルール』PHP研究所(PHP新書)。
  • 「人間嫌いが、共感を大切にし、『みんな一緒主義』を高らかに掲げる善良な市民を嫌ってもいいが、 そこに自分は『正しい』そして相手は『正しくない』という論理を一滴でも混入させたら、彼(女)は正しくない」。 「どちらが正しいわけでもなく、両者は異なっているだけなのだ」(190頁)。 「さまざまな人がいていいのである。ほとんどの人が共感ゲームに夢中になり、みんな一緒主義に酔いしれ、 家族至上主義を信奉してもいい。ただ、願わくはそれとは違うものが『ある』ことを (理解しなくても反感を抱いてもいいから)彼らが尊重してくれさえすればいい」(191頁)。
  • 「宴会に出ないのも、病院に見舞いに行かないのも、『その気になれません』というだけで充分な理由なはずなのに、 それがいっこうに通じない」。「私がここで言っているのは、義務ではなく、義理(すなわち契約外強制)のレベルのことである」(181頁)。
■ 抜粋ノート080710
  出典:丸山眞男(1998)『自己内対話――3冊のノートから』みすず書房。
  • 「俺はコーヒーがすきだという主張と俺は紅茶がすきだという主張との間にはコーヒーと紅茶の優劣についての ディスカッションが成立する余地はない。論争がしばしば無意味で不毛なのは、論争者がただもっともらしい レトリックで自己の嗜好を相互にぶつけ合っているからである」(252頁)。
■ 抜粋ノート080708
  出典:河合隼雄(1998)「100%正しい忠告はまず役に立たない」『こころの処方箋』新潮社(新潮文庫)。
  • 「たとえば、野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」といえば、これは100%正しいことだが、 まず役に立つ忠告ではない。ところが、そのコーチが相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ、と言ったとき、 それは役に立つだろうが、100%正しいかどうかはわからない。敵は裏をかいてくることだってありうる。 あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。そのなかで、敢て何かを言うとき、彼は 「その時その場の真実」に賭けることになる。それが当れば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、彼は責任を取らねばならない。
    このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、 この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、 工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。 そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果がでるのも当然である。
    ひょっとすると失敗するかも知れぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから、忠告も生きてくる。 己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる」 (18-19頁。太字強調は垣田)。
■ 抜粋ノート080702
  出典:矢沢永吉(2008)「信じろよ、自分を」第4回『朝日新聞』2008年6月29日朝刊。
  • 「自分の人生がどうなれば幸せなのかって、本当に本人でなければ分からないんだ。 だから若い人でも、中年でも、とにかく自分に問いかけてみるしかないのだと思う」。
■ 抜粋ノート080616
  出典:矢沢永吉(2008)「信じろよ、自分を」第2回『朝日新聞』2008年6月15日朝刊。
  • 「うちの会社ではいつも若い人に言う。 例え先輩に対してでも、言うべきことをのみ込むなと。 やっぱり上の人間は、少しずつ時代遅れになっていたり、 古い習慣になじみすぎて細かい良しあしが分からなくなっていることがある。 ささいなことでも、見えたら発言するべきなんだ」。
■ 抜粋ノート080612
  出典:丸山真男(1986)『「文明論之概略」を読む(上)』岩波書店(岩波新書)。
  • 「自由の気風はただ多事争論の中からしか出てこない。必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する。いわゆる市民的自由というものが『形式的』自由であるといわれる理由がここにあります。つまり、特定の思想内容に係わらない、いかなる説でも自由に表明されるべしということです。ここでは必ず複数の考え方の共存と競争が前提となるわけです」(146頁。下線部は、本文では傍点)。
■ 抜粋ノート080303
  出典:成毛 眞(2008)『本は10冊同時によめ!』三笠書房(知的生きかた文庫)。
  • 「私は『本は捨てない、借りない、貸さない』主義」(164頁)。
■ 抜粋ノート080125
  出典:岡崎武志(2007)『読書の腕前』光文社(光文社新書)。
  • 「本を読む時間がない、と言う人は多いが、ウソだね。 その気になれば、ちょっとした時間のすき間を利用して、いくらでも読めるものなのである。 たとえ、それが二分、三分といった細切れ時間であっても、合計すれば一日二十、三十分にはなるはずだ。 一ページ一分かかるとしたって、毎日三十ページ近くは読める。 土日に少し時間を稼げば、新書程度の分量なら一週間に一冊は読了できる。 要は、ほんとうに本が読みたいかどうか、なのだ」(34頁)。
■ 抜粋ノート080119
  出典:大塚久雄(1977)『社会科学における人間』岩波書店(岩波新書)。
  • 「『精神のない専門人』。これは、それぞれ専門化された特殊な分野の仕事に専心し、 その分野ではこの上もなく深い知識と経験とをもっているが、しかし、自分の仕事が、 全体の関わりのなかで、さらにまた人類の運命にとって、どのような意味をもつか、 といったことはぜんぜん知らないし、また知ろうとする内面的要求も持ち合わせていない、 そういう人々のことでしょう」(158頁)。
■ 抜粋ノート070530
  出典:日本テレビ「バンビ〜ノ!」第7回、2007年5月30日。
  • 「ただなぁオレは思うんだよ
    自分が最高だと思う料理でも、人が食べたらそうは思わないかもしれない

    結果や評価は、自分が出すんじゃない
    人が出すんだ、オレたちの仕事はな……

    でもな、だから面白い!
    飽きない、止まらない!
    死ぬまで勉強していられる
    こんな幸せな仕事って、
    他にはないんじゃないかってな」。
■ 抜粋ノート070301
  出典:ウェーバー著、田中真晴訳(1973)「国民国家と経済政策」『政治・社会論集』(新装版・世界の大思想 3 ウェーバー)、河出書房新社。
  • 「上に向かっても、下に向かっても、また自分の属している階級に向かっても、嫌がられることをいうことこそ、 われわれの科学の使命であります」。
■ 抜粋ノート070209
  出典:NHK総合「プロフェッショナル」第40回「出過ぎた杭は誰にも打てない」 (石井裕・マサチューセッツ工科大学教授)、2007年2月8日。
  • 「私は自分の能力の限界をよく知っている。何か批判されたら受け入れ、すぐにそれを消化する。 もし本当に納得したら、それを取り入れて次の段階に活かす」。
  • 「研究には謙虚さがなければダメだ。それがなければ的はずれになり、研究するだけ無駄だ」。
  • 「浅い議論で終わらせずに、できるだけ深く深く掘っていくこと、それが大事ですね」。
■ 抜粋ノート070208
  出典:炭谷 茂(2002)「社会福祉学の底力」『社会福祉研究』鉄道弘済会、第85号。2002年10月。〔 〕内、および下線は垣田。
  • 「わが国の社会福祉学をさらに発展させるためには、私は次の5項目に留意する必要があるのではないかと思う。
      第1には、対象範囲をしっかりと確定することである。それは人間の生活問題である。
      第2には、社会福祉の理念と哲学を明らかにすることである。問題解決学であり、政策科学である社会福祉学にとっては生命線である。
      第3には、福祉への感性や心情である。クールハートでは誤った方向に行ってしまう。これは現実の姿に接することによって培われるのである。
      第4には、概念と政策・サービス実施手法を開発し、その有効性を示していくことである。制度や外国の解説にとどまってはいけない。
      最後に、歴史と特に欧州の状況を社会的背景を踏まえてとらえ、社会福祉の考察に立体観〔ママ〕をもたせることである」(75頁)。
■ 抜粋ノート070207
  出典:スピノザ著、畠中尚志訳(1968)『知性改善論』岩波書店(岩波文庫)。
  • 「我々は、事物の探究にたずさわる限り、決して抽象的概念から結論を下してはならない。 そして単に知性の中にのみあるものを、実在するものと混同することのないよう十二分に用心しなければならない」(73頁)。 「単に普遍的公理のみからは知性は個物へと降下することが出来ない」(74頁)。
■ 抜粋ノート070207
  出典:デカルト著、谷川多佳子訳(1997)『方法序説』岩波書店(岩波文庫)。
  • 「良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれを良く用いること」(8頁)。
■ 抜粋ノート070206
  出典:二木立(2006)『医療経済・政策学の視点と研究方法』勁草書房。
  • 「医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から研究を行うこと」。 「リアリズムだけでは現状追認主義に陥ってしまいますが、リアリズムを欠いたヒューマニズムでは 観念的理想論になってしまうからです」(29頁)。
■ 抜粋ノート070202
  出典:酒井邦嘉(2006)『科学者という仕事――独創性はどのように生まれるか』中央公論新社(中公新書)。読:060501-03。
  • 「『知識より理解』、すなわち『知るより分かる』ということが科学研究のフィロソフィーなのである」(20頁)。
  • 「いつも他人の仕事の方がうまくいっているように見えがちである」。「研究は決して効率がすべてではない。 研究に試行錯誤や無駄はつきものだ」(60頁)。
  • 「研究者にとって『個』に徹するとは、『自分で納得するまで考える』ということに尽きる」。 「『個』に徹するということは、自分で物事の是非を判断し、あらゆる権威に屈しないということでもある」(77頁)。
  • 「自分で本当に良いと思える仕事を残すことが大切」(80頁)。
  • 「研究者に必要な能力の基本は、『知力・体力・精神力』である。 『知力』とは、基礎学力・観察力・分析力・論理的思考力などの総体であり、研究発表に必要な語学力も含まれる。 また、根を詰めて研究に没頭するためには『体力』も必要であり、時には徹夜の実験や思考が続くこともある。 そして、失敗の連続であったとしても途中でめげないような、強靭な『精神力』も要求される」(89頁)。
  • 「ストラディヴァーリの本当の秘密」、それは「すなわち謙虚さ、自分自身の技芸に対する情熱、 そして、常に過去の製作者たちの経験を尊重しながら、仕事の質の向上を図れるようなあらゆる解決法を 得ようとする執拗なまでの几帳面さというものであった」。「これこそ『職人魂(クラフツマンシップ)』の真髄であ」る(96-97頁)。
  • 「科学研究はあくまで人が分かるものでなくてはならない。思弁に走りすぎて他の人がその研究の真偽を確かめられないようではいけないのだ。 一部の現代芸術や現代音楽は、抽象の世界に迷い込んだかのように見える。 『分かる人には分かるはず』というような高踏的な芸術表現は、科学には必要ない」(104頁)。
  • 「研究室を持つようになったり、大学や研究所の要職につくようになれば、自分の研究に集中できる時間が確実に減ってくる」。 「このような状況にあって、研究に対する情熱と集中力を持続させるには、若い時の馬力とは違った意味での精神力が必要となる」(145頁)。
  • 「科学的な観察そのものの誤りや、事実の記載自体の誤りは、基本的に研究者の未熟さや不注意に基づくものである。 したがって、このような誤りは研究者の信用にかかわる問題になる」(196頁)。
  • 「研究者の仕事とは『まだ分かっていないことを分かるようにすること』である。 これに対し、教育者の仕事は『すでに分かっていることを人に分かるようにすること』である」(222頁)。
  • 「特許や利益に直結しやすい応用研究は重視されがちであるが、基礎研究が軽視されては健全な科学の発展は望めない」。 「基礎医学の研究によってすぐに病気が治るわけではない。しかし、基礎的で地道な研究が臨床医学を支えていることは、はっきりしている」(250-251頁)。
■ 抜粋ノート070118
  出典:水野肇・川原邦彦監修(2003)『医療経済の座標軸――医療経済フォーラム・ジャパンの羅針盤』厚生科学研究所。
  • 田中滋氏の発言(いずれも本書192頁)
    「学者も元官僚も医療人も政策を提言することは自由だし、市民として発言することはかまわないが、 社会科学の学問の本質としては、分析をして、なぜこうなっているかを示す方が学者の意識としては強いと思います」。
    「学問の本質は『提言』ではなくて『分析』がメインになります。それが学者が他の人より強いところであって、 提言は社会科学者の主目的ではない」。
    「提言してはいけないとの意味ではなく、本質的には提言以前になるほどと思わせる分析を示し、 そこから人びとが学んで何か政策をつくるルートでいいわけです」。
■ 抜粋ノート070110
  出典:権丈善一(2005)『再分配政策の政治経済学 T――日本の社会保障と医療』第2版、慶應義塾大学出版会。
  • 「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさが作るのではない」(13, 21頁)。
■ 抜粋ノート061106
  出典:山口二郎(2006)「具体策を論じない新保守という精神主義」『週刊東洋経済』2006年10月7日号。150-151頁。
  • 「そもそも政治とは、国民に説教や美意識を押し付けることではなく、 この種の具体的問題〔不十分な介護制度を背景とした高齢者の犯罪の増加、若年労働者を使い捨てにする企業の雇用行動を背景とするニートの増大−垣田〕 を一つひとつ解決する作業である。 具体的な問題に取り組む手間暇を避けようとする者が、安直に精神論を振りかざす」(150頁)。
■ 抜粋ノート061029
  出典:「山田監督から贈る言葉」(シンポジウム「山田洋次監督が大学生と考える日本」)『朝日新聞』2006年10月28日朝刊。
  • 「まず、世の中を、大人の言い分を疑ってかかれと言いたい。今のゆがんだ社会をうのみにして、既成のベルトコンベヤーに乗れば安全に出世する、 といった考えの若者たちが主流だとしたら、僕たちの国、この世界の未来はない。
     君たちが大学4年間で学んだ(学んだはずだと信じたいが)知恵、考える力を総動員して、いかに生きるべきか、未来はどのような社会であるべきかを 模索できる人であってほしい」。
■ 抜粋ノート061018
  出典:権丈善一(2006)『医療年金問題の考え方』(再分配政策の政治経済学 V)、慶應義塾大学出版会。 650頁、3990円。
  • 「若い学生たちへの<教育の力> というものはみかけよりも大きいようで,それは,良かれ悪しかれ,人の生涯の考え方に大層な影響を与えてしまうのである」(4頁)。
■ 抜粋ノート060724
  出典:仲村祥一(1961)「釜ヶ崎と社会科学徒の反省――超イデオロ的、複眼のヒューマニズムの提唱」『思想の科学』No. 34、中央公論社。82-87頁。
  • 「<お前ら、調査や研究やいうてなにぬかしてけつかんね! お前らに、ワイラの本当のことがわかってたまるけェ。 ワイラはワイラの甲斐性で勝手に生きてるんや。ほっといてんか。ケッタくそ悪い。見世モンとちがうねんで。 調査やなんやいうて、今までイジリ倒して、ええことしてくれたことあれへんやないか。 あんたら、夏休みやいうのにご苦労はんなことでんなあ。 ご苦労ついでに一ペンここで住んでみはったらドナイダア>」(87頁)。
■ 抜粋ノート060118
  出典:阿部謹也(1999)「市民の中に生きてこそ学問」『朝日新聞』1999年12月17日夕刊。
  • 「学者は忙しいと思った瞬間ダメになる」。
■ 抜粋ノート060111
  出典:立花 隆(1995)『ぼくはこんな本を読んできた――立花式読書論、読書術、書斎論』文藝春秋、73-75頁。 初出は、『朝日ジャーナル』1982年5月7日号。下線は垣田。
  • 「実戦」に役立つ14ヵ条
    (1)金を惜しまず本を買え。本が高くなったといわれるが、基本的に本は安い。 一冊の本に含まれている情報を他の手段で入手しようと思ったら、その何十倍、何百倍のコストがかかる。
    (2)一つのテーマについて、一冊の本で満足せず、必ず類書を何冊か求めよ。 類書を読んでみてはじめて、その本の長所が明らかになる。そのテーマに関して健全なパースペクティブを得ることができる。
    (3)選択の失敗を恐れるな。失敗なしには、選択能力が身につかない。 選択の失敗も、選択能力を養うための授業料と思えば安いもの。
    (4)自分の水準に合わないものは、無理して読むな。水準が低すぎるものも、高すぎるものも、読むだけ時間のムダである。 時は金なりと考えて、高価な本であっても、読みさしでやめるべし。
    (5)読みさしでやめることを決意した本についても、一応終わりまで一ページ、一ページ繰ってみよ意外な発見をすることがある
    (6)速読術を身につけよ。できるだけ短時間のうちに、できるだけ大量の資料を渉猟するためには、速読以外にない
    (7)本を読みながらノートを取るなどうしてもノートを取りたいときには、本を読み終わってから、 ノートを取るためにもう一度読み直したほうが、はるかに時間の経済になる。 ノートを取りながら一冊の本を読む間に、五冊の類書を読むことができる。たいていは、後者のほうが時間の有効利用になる。
    (8)人の意見や、ブックガイドのたぐいに惑わされるな。最近、ブックガイドが流行になっているが、お粗末なものが多い。
    (9)注釈を読みとばすな。注釈には、しばしば本文以上の情報が含まれている
    (10)本を読むときには、懐疑心を忘れるな。活字になっていると、何でももっともらしく見えるが、 世評が高い本にもウソ、デタラメはいくらもある。
    (11)オヤと思う個所(いい意味でも、悪い意味でも)に出合ったら、必ず、この著者はこの情報をいかにして得たか、 あるいは、この著者のこの判断の根拠はどこにあるのかと考えてみよ。それがいいかげんである場合には、デタラメの場合が多い。
    (12)何かに疑いを持ったら、いつでもオリジナル・データ、生のファクトにぶちあたるまで疑いをおしすすめよ。
    (13)翻訳は誤訳、悪訳がきわめて多い。翻訳書でよくわからない部分に出合ったら、自分の頭を疑うより、誤訳ではないかとまず疑ってみよ。
    (14)大学で得た知識など、いかほどのものでもない。社会人になってから獲得し、蓄積していく知識の量と質、 特に、二〇代、三〇代のそれが、その人のその後の人生にとって決定的に重要である若いときは、何をさしおいても本を読む時間をつくれ
■ 抜粋ノート051120
  出典:二木立(2004)「資料整理の技法と哲学――医療経済・政策分野を中心に」(5・完)『月刊/保険診療』第59巻第3号。
  • 「大学教員のなかには、手段(特に情報収集)を目的と取り違えて、 『お勉強』ばかりして研究発表をおろそかにしている方もいますが、 私は、研究発表をしない大学教員(ニーチェ流に言えば「教養ある俗物」)は 研究者とは呼びません」(205頁)。
  • 「一般の社会人(寅さん流に言えば「労働者諸君」)に比べて はるかに時間的に恵まれている研究者 (少なくとも文科系の大学教員で重要な役職に就いていない人)が 「忙しい(から研究ができない)」と言い訳するのは、 自己の怠惰または無能の証明と思います」(205頁)。
■ 抜粋ノート050915
  出典:「天声人語」『朝日新聞』2005年9月8日朝刊。
  • 「福沢諭吉が『文明論之概略』で述べた。 『自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し』。 政治学の丸山真男氏が注釈を付けている。 自由の気風は『必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する』 (『丸山眞男集』岩波書店)
  • 「ものの考え方の、より広い幅を求めて、ともすれば消されそうな主張にも耳を傾けたい」。
■ 抜粋ノート050908
  出典:ジョーン・ロビンソン著、宮崎義一訳(1966)『経済学の考え方』岩波書店。
  • 「われわれは、自分自身の信条の根源を見出すためにさまよい歩かなければならない」(2頁)。
  • 「形而上学的命題の形而上学的命題たるゆえんは、それの真偽をためすことができない点にある」(4頁)。
  • 「しかし、形而上学的叙述にも内容がないわけではない。それは、一つの見解を表明し、行動の指標となる感情を系統だてる」(5頁)。
  • 「重要なことは、イデオロギーなしには、この問題について考えることすらしなかったにちがいないということであろう」(6頁)。
  • 「理性は助けにならない。われわれのしつけによって各人に植えつけられた倫理体系 (叛逆でさえ、各人がまさに叛逆しようとめざす既存の倫理体系によって影響を受けている) は、なんらかの合理的な原理から導出されたものではない。 倫理体系をわれわれに伝達した人々でも、それをうまく理屈づけて説明することも、 さらにそれを判然と系統だてて叙述することすらもできなかった」(19-20頁)。
  • 「如才のない人々なら、倫理体系の多様性を認め、道徳問題については相対主義的見解をとることだろう。 しかしながら、相対主義をとるからといって、われわれは、ある種の絶対物を信じないわけではない。 そこには、われわれがわかちあうある基本的な倫理感情というものがある。われわれは無慈悲よりも親切を、 闘争よりも調和を好む。われわれは勇気を賞賛し、正義を尊敬する」(22頁)。
  • 「われわれは判断を下すことから逃れることはできない。 しかも下そうとする判断は、われわれの人生観に浸透しており、われわれの頭脳に いつのまにか刻み込まれている倫理的先入観にもとづいたものである。 われわれは自分の思考習慣から逃れることはできない。 くねくね入道が道をさえぎっているのだ。 しかし、われわれはまわりをさまようことはできる。 われわれは、何を価値あるものと考えるかについて知ることができるし、 なぜそう考えるかについて理解しようと努めることができる」(23頁)。
■ 抜粋ノート050701
  出典:立岩真也(2004)『自由の平等――簡単で別な姿の世界』岩波書店、序章。
  • 「社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。 しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。 少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。 考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、 仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。 だから子どものように考えてみることが必要だと思う」(2頁)。
■ 抜粋ノート050625
  出典:野村拓・藤崎和彦(1997)『わかりやすい医療社会学』看護の科学社、108-111頁。初出は、野村 拓『マクロ』(個人誌)、No. 66(1991年6月)、No. 68(1991年9月)。初出時の原題は「後輩へのアドバイス」。下線は垣田。
  • ◆もの書きテクノロジー
    1.初心者のうちは、教室研究会などで発表の順番がきたら、必ずフルテキストを用意すること(コピーして配るかどうかは別にして)。
    2.医療政策論、医療経済学のように人文・社会科学寄りの学問の場合はフルコピーで一語一句先輩にチェックしてもらうのがいいが、先輩がバカな場合もある。そんなときでも自分自身のためにフルテキストをつくっておくべきである。またバカな先輩でも、何かひとつぐらいはいいところをもっているはずである。
    3.「話すこと」と「書くこと」との落差に早く気づくべきである。「話すこと」には非論理性やいい加減なところが伴いがちである。また無駄を省いて精緻な論理的組み立てで話をすると聞き手がくたびれてしまうので、「遊び」が入ってくる。したがって「書ける人」の話も、「書けない人」の話も、話としては大差がない。こんなところから「私は話ならできるけど、書くのはちょっと」という一群の人たちが登場する。これは書くことを通じての論理的トレーニングを怠った結果であって「あたし論理的にはしっかりしているんだけど文章力が……」というのはウソである。
    4.座談会には当分出るな。座談会とは、座談の名手たちがかもしだすダイナミックスの面白さに、読み手的価値を認めてはじまったものだが、最近では座談の下手な人間たちによる座談会が多過ぎる。速記がまわってきてから、改めて書き下ろすような人間とはつきあうな。
    5.「仕事は時間の関数」と割り切ること。もう少し時間があればいい仕事になると錯覚して先送りしないこと。これをやりはじめると「オール・オーバーラップト」という最悪の形になり、紙屑の山のなかでダニにくわれながら生涯を終えることになる。
     また「俺も年をとったら歴史ロマンを書く。今は実験だ」などといっていた人間が、年をとってまともなものを書いたためしはない。実験がダメというのではなく、何事も若いときのトレーニングが大切ということである。
    6.締め切りがくれば、二日酔いでもインフルエンザにやられていても必ず書くこと。そして悪条件下で書いたものであることを弁解しない。弁解癖がつくと、あらかじめ弁解を予定していたような原稿しか書けなくなる
    7.「ひねりだし」と「ひらめき」――ワープロは「ひねりだす」作文にはフィットするが、「ひらめき」や「ほとばしり」にはついていけない。「ひらめき」用には、使用済みのコピーの裏白を半裁(B5)にして、ペンを走らせるのがいいのではないか。
    8.「書きおろし」と「寄せ集め」。およそ本というものは、「書き下ろし」が原則であって「寄せ集め」は本ではない。したがって「寄せ集め」の書評を頼まれたときには断るようにしている。「寄せ集め」は新人育成や、共同研究発表の際だけに許される形式である。
    9.シラバスとブリッジ。「書き下ろし」の場合、当然のことながら、まずシラバスを作成することになる。しかし、「第1章 空気」「第2章 水」というような本ではなく、物事の歴史的展開を書く場合には、章と章とのつなぎ、ブリッジをあらかじめ作成しておく必要がある。つまり、ブリッジ部分の叙述を通らなければ第1章から第2章へは展開できないという関門を設けておかないと、叙述がどうどうめぐりをするおそれがあるからである。ただし、ブリッジは単なる「つなぎ」「接着剤」ではない。形の上では接着剤に見えるかも知れないが、実は筆者の世界観そのものなのである。
    10.構想力も構築力もない人間から文献、資料をまきあげろ。「こんなことをやりたい」「あんなことをやりたい」といいながら文献資料をもち出した人たちのうち、何パーセントが著書その他の形で活かしているだろうか。
     もちろん、未知の可能性をもった若手に対して利用を禁ずるわけにはいかない。しかし、先の見えた人間で、構想力も構築力もないことが歴史的経過のなかで明らかになっているのに、後生大事に貴重な文献、資料をかかえ込んでいるものが少なからずいる。泥棒以外の手段で、これらの資料をまきあげることを積極的に考えるべきである。
    11.スケジュールの前倒し。できるかぎり長期的なスケジュール表を作成し、どのあたりで仕事が重なるかを把握し、仕事のヤマを「前倒し」的に処理すること。あくまでも「前倒し」が原則であって、後へ倒すことは破滅への第一歩と考えるべきである。
    12.パラ(並列)ではなく、オルト(直列)で。「いま、仕事を6つばかりかかえているので……」などと嬉しそうな顔をしている人間は、概して仕事をしていない。かかえて温めていれば卵がかえるというわけではない。やはり仕事はひとつずつ片づけていくしかない。人間は同時にひとつの仕事しかできないのだから、パラ(並列)ではなくオルト(直列)でやるより仕方がない。小生のような「仕事師」がいうのだからまちがいない。
    13.チャンネルの切りかえかた。しかし次元のちがった仕事を直列的にこなしていくためには、頭の切りかえ、チャンネルの切りかえがうまくなければならない。これがなかなかむずかしい。家で仕事をしているときなら、しばらくテレビをみるのもいいだろう。なるべくのめり込まずにすむような番組を選ぶこと。どちらが勝ってもいいような駄戦、凡戦をしばらくみていれば「やっぱり仕事の方が面白い」という気分になるはず。ここにテレビの効用がある。
    14.そのときのコンディションで3段階ぐらいに。ベストコンディションのときにやる仕事、最悪のコンディションのときにやる仕事、その間ぐらいのときと3段階ぐらいに分けて仕事をすること。小生の場合、最悪のコンディションのときにやるのが新聞のスクラップ。だからムラがあるかも。
■ 抜粋ノート041217
  出典:小浜裕久・木村福成(1996)『経済論文の作法――勉強の仕方・レポートの書き方』日本評論社。◆印の小見出し、下線は垣田。
  • メリハリをつけて
    人一倍遊び、人よりたくさん寝て、人よりもいいレポートや論文を書こうなどと考えてはいけない。要は『やるべきこと』『やったらいいこと』『やってみようかと思っていること』の間の優先順位をつけることである。大学の教師のなかにもこれができずに、なんでも『イエス』といって引き受け、仕事が進まない人がたくさんいる。メリハリをつけることが大切である。週に一度は運動をして仕事をしないとか、酒を飲んだらすぐに寝て翌朝早く起きるとか、いろいろ工夫すべきであろう」(10頁)。
  • アイディアのメモ
    「人間の記憶はとてもうつろいやすいもので、いい考えが浮かんでもつぎの瞬間には消えてしまうものだ。だから、こればかりはパソコンで、というわけにはいかない。いいアイディアが浮かんだら、すぐ何かに書き留めなくてはいけない」(26頁)。
  • 情報メモ
    「情報メモというのはちょっとした数字や事実のメモのことである」(27頁)。
  • 文献からの抜粋ノート
    「自分の関心に照らして、ノートをとっておいたほうがいいと思うところは最低限、まめにノートをとるべきだ。ただ、まちがってもらって困る点は、ノートをとることをそれ自体が目的化してしまっては本末転倒だということである」(32頁)。
  • 研究と、人類の進歩
    「NHKで放映された西沢〔潤一〕研究室のドキュメンタリーの一場面である。大学院生か若い研究者が、先生からいわれていた研究がどうなったかと聞かれ『まだやってません』と答えたところ、えらい勢いで怒鳴られている場面である。西沢先生曰く『研究というのはそれが進むことによって人類が進歩する、といったものである。おまえの研究が遅れることはそれだけ人類の進歩が遅れることだ!』というのである」(42頁)。
  • オリジナリティー
    「オリジナリティーはただの『思いつき』とはまったく異なる、ということも忘れてはいけない。蓄積があってはじめてなにか意味のあることを考え出し、それを発展させることができるのである」(42頁)。「独創性といっても、ノーベル賞級の独創性が要求されるわけではない。既存論文のレビューが目的ならば、自分なりの切り方で問題を整理し直してみるとか、実証研究ならば、みずからデータを加工して既存論文の結果を異なったデータ・セットで確認してみるといったことは、十分オリジナリティーのある仕事だといえる。みずから頭と手を動かした論文・レポートと、だれかの論文をたんに切り張りしただけの論文・レポートとでは、その差は一目瞭然である」(42-43頁)。
  • 寝ても覚めても考える
    「あるときIDCJ〔国際開発センター〕の研究会で報告者が、『ある経済問題について、この問題はまだわかりません』といった発言をしたところ、大川〔一司〕先生曰く、『そんな重大な問題を解けずに、君!よく夜寝られるな!僕なら寝られない!』」(56頁)。
  • 既存研究のサーベイ
    「文献サーベイの論文を書くのでない限り、既存研究のレビューにあまり時間をかけすぎるのはよくない。人の論文を読むこと自体が目的となってしまうことは、まじめで勤勉な人ほど陥りやすい落とし穴である。自分で論文を書いたり、あるいは何かを考えるために、既存研究を勉強するのだということを忘れてはいけない」(60頁)。
  • プロの学者
    「大学の経済学部の先生がすべて経済学者と思っては大まちがいである。プロの経済学者とは、経済学の何らかの分野で『新しい扉を開けている人』、百歩譲って『開けようとしている人』のことだ」。「本物の学者で怖い人はたくさんいる。全員怖いといってもいい。それと威張っているのとは別だ。威張っているのは馬鹿だ、と思ってまず間違いない」(159頁)。
  • 読みながらノートを取るな
    「立花隆は『本を読みながらノートを取るな』という」(166頁)。
  • 「大川先生曰く『きちんとしたテーマをもって、いい論文を1本でも書くと自信が出てくる。初めは時間がかかっても、着実に研究をつづけ、いい論文を書いていけば、そのうち年に1冊本が書けるようになる」(174頁)。
■ 抜粋ノート040628
  出典:水岡不二雄(1992)『経済地理学――空間の社会への包摂』青木書店。〔 〕内、および下線は垣田。
  • 「社会科学の研究対象として都市、地域、土地、交通、環境などをとらえようとするならば、これらにかかわって噴出している問題のジャーナリスティックな現状告発や、『地域のあるべき構造』ないし『住民主体の内発的な地域づくり』などといった理念についての説述だけでは十分でない。社会科学者はルポライターでもSF作家でもない。地域における運動への取り組みそれ自体が、社会科学者の究極的課題でもない。社会科学者の任務はまさにその先にあるのであって、現象や、理念、そして運動が向かう方向の背後に潜む、直接的には目に見えずしばしば人を惑わすような外観を伴った社会関係を見抜き、分析し、経済社会の見えざる手が地域を将来に導くあり方を洞察することこそ、社会科学者に求められているものなのである。理想の地域像を単に思い描くのではなく、資本主義経済においてかかる『理想の地域』の観念がなぜ実現しないのか、ということこそを説明しなければならない」(3-4頁)。
  • 「社会科学者の手になるこうした文献のなかには、そこに盛られた現状告発の言葉の勇ましさ、産業の分布やその変動の記述のことこまかさ、そして唱えられている理想像の一見したきらびやかさと裏腹に、いかにも内実が弱々しいものも少なくなかった。記述が理論とどうかかわるのか見えないほどの曖昧さに満ちていたり、経済学の理論をある程度ふまえていても、理論は、都市・地域というコンテクストからすればきわめてプリミティブな抽象的・一般的命題がそのまま直接に援用されていたりする。一例をあげよう。都市問題が資本蓄積や経済の『グローバリゼーション』のひとつの表明である、という原則論を主張することはたやすくできる。しかしそれによって、都市経済の理論的な理解にいったい何が新しく付け加わったというのであろうか。資本主義社会においては蓄積が常に経済過程の基底にあり、それは常に拡張を志向する。この社会ではあらゆる経済・社会現象がことごとく資本主義の社会過程の表明なのである。こうした一般的命題を都市・地域・環境経済などの現実に直接あてはめ、これらにかかわる諸現象をこうした一般的命題の単なる地表における表明として扱うだけでは、都市・地域・環境経済などの特殊的問題について、なんら新たな理論的知見を得ることができない」(4頁)。
  • 「『地域住民』というキャストのなかには、搾取者としての地場資本もいれば被搾取者としての地域労働者もいる。『地域構造』は、資本蓄積の経済過程がもたらす帰結としても、またそのほかの社会諸過程の帰結としてもつくりだされるのである。しからば、『地域住民』や『地域構造』といったたぐいの言葉を、資本と賃労働との関係という階級概念や資本蓄積の経済諸過程とどのような論理的関係でとらえたらよいのか、真摯で誠実に考えようとする社会科学者ならば、本来みな、この壁で立ち止まるのではないだろうか」(5-6頁)。
  • 研究の対象がそのままたやすく認めることのできる眼前にあるとき、われわれは往々にして方法論的な怠惰、理論的省察の欠如に陥りがちなものである。そして、こうした怠惰や省察の欠如から、上に述べたような安易な研究傾向が生まれる」。「まず私がみずからを最も戒めたのは、これに陥らないことであった。かかる怠惰や省察の欠如は、都市・地域などの研究を、ひとつの学問的パラドクスにおとしいれる。すでに述べたように、地域の現状や『構造』の経験主義的な現状記述・告発などは、入門的な社会科学の理論的知識さえあればたやすく取り組める研究の『平坦な大道』である。ところが、これを理論化するとなると、急転、道は前人未踏の岩場のなかに入り込んでしまう。この急な岩場を乗り越えることは、壮大な現状告発の言葉を語るほどに容易ではない。そこには、既存の理論経済学の体系をなお未完成なものと位置づけ、既存の発想のパターンにはまったままで安住しない知的創造性をもつ思考力と、その創造性を裏付ける既存の社会科学などについての理解・柔軟性を持った解釈の様式が要求される」(6頁)。
  • 「この岩場を乗り越える困難はいやがうえにも増大する。こうして、都市・地域・環境などを扱う研究者は、理論化への素材を蓄積するとか、現象の重大さはいま記述や告発を要求している、とかいう大義名分を用いて経験主義を正当化する論理をひねりだし、現象記述に没頭するという『エスケープルート』にはいりこんでゆく。かくて、水が低きに流れるのと同様、困難な理論問題の当座の回避をこの『平坦な大道』に求め、険しい理論的創造の岩場に永遠にアタックすることができないまま現象の表面的外観の経験主義的な記述・類型化という山麓のトレッキングでお茶を濁さざるをえない状況が広がってゆく。そしてそのあげく、都市・地域・環境などの研究は、ますます問題の体系的・根源的認識から離れたところへ遠ざかっていってしまう」(7頁)。
  • 「以上のことと並んで私がもうひとつみずからを戒めてきたことは、都市・地域・環境・経済立地など、地表空間にかかわる一連の研究諸領域を『学際的研究』の場である、ととらえる立場にかかわるものであった」。「『学際的研究』という言葉は、なるほど一見聞いて素晴らしい。しかし、ここで立ち止まって考えてみる必要はないだろうか。個々の領域について、個別的にはそれなりの理論上の成果が存在するとしても、これらの研究諸領域すべてを貫き、それに統合的な研究のフレームワークを与えるような地表空間にかかわる理論体系が存在しないところで、真の『学際的研究』は可能なのであろうか」(7-8頁)。
  • 「私は本書で、地表空間に生起している社会諸現象について、これを統合する新たな社会理論の場を求めようとした。この地表空間にかかわる統合理論を構築することによってこそ、理論的フラグメンテーションの状況が解消され、それとともに、これら地表空間とかかわる諸領域の問題について、より適切な政策的展望を打ち出すことも可能となるのである」。「本書にあるがままの現実について記述した生々しい文章や、分布図・統計表などが登場しないとしても、それは、私が、それ以上に重要なものとして、本書に盛られた、統合的な経済・社会空間の理論の場の構築を考えているからなのである」(8頁)。
  • 「もちろん私が、本書をまとめるに至るまでに、多くの地域をみずから歩き、また問題意識にすぐれ新たな方法論的展望を示している現状分析に接することなどを通じて、理論的省察の素材を幅広く現実のなかに求めてきたことは、いうまでもない。本書で展開されている論理は、こうした、現状をとらえる目にその出発点をもっている。私がみずからを戒むべきと考えていることの第3は、むしろ、あるがままの現状の記述がこうした分析の素材を蓄積するという点で一定の意義をもっているという事実を、さきにふれたような、現象の表面的な外観をその表面において経験的に記述するレベルに研究がとどまっていることの正当化として用いる行為である。現象の記述的な研究は、あくまで現象のなかにあって捨象された地表空間の諸契機を特殊的諸範疇の論理的な再構成の過程をつうじて包摂し、豊富化された理論によって、現象を『豊かな総体』としてとらえなおす、という理論的射程を内にはらんだものとしてなされなければならない。このことによりはじめて、地表空間にかかわる現実には、その理性的認識という知的息吹が吹き込まれるのである」(8-9頁)。
  • 「以上に述べてきた立場は、既存の社会科学研究にひとつの自己革新を迫る。この立場に立って私は、本書で、既存の理論経済学や社会諸理論と、都市・地域などの地表空間にかかわる諸現実とのあいだを橋渡しするような、社会科学の理論における『ミッシング・リンク』〔ここで文献注――引用者〕を発見しようとした。あるいは、ルフェーブルのいう『空間の中の諸物の分析ではなく、空間に合体された社会諸関係を明らかにするという展望をもった空間それ自体の分析』〔ここで文献注――引用者〕を、私自身のやり方で行おうとしたのである。この課題を果たすために、ただ丸腰で現象の表面的外観をながめまわしていただけではもちろん望みがでてこない。際限ない事実の集合から帰納的に考え方を組み立てようとしても、どこから何をどのように抽象してきたらよいのかが明確でないかぎり、暗闇をもがき回り、2階から目薬をさす以上のことは、ほとんどできない。そこで私は、社会科学の理論的基盤のうえに、それが欠いている空間の経済・社会過程にかかわる論理のステップを積み上げてゆく、という手続きを踏むことにした。既存の社会科学の理論と、地表空間に展開する現実の社会経済諸過程との壁を橋渡しする新たな諸範疇を基礎づける経済社会の空間理論を構築して、社会科学の理論体系を、都市・地域などをも包括するより豊かな総体へを上向させてゆくのである」(9頁)。

垣田裕介の研究室